杉田水脈議員による『新潮45』寄稿の “全文” に抗議を表明します(2/3)

 

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杉田水脈議員による『新潮45』寄稿の “全文” に抗議を表明します(2/3)

2018.07.01

想像力の欠如、論理の破綻、思考の停止

文章の後半は「LGBとTを一緒にするな」という見出しで、LGBTを「そもそもLGBTと一括りにすること自体がおかしい」と始まる。
 
T(トランスジェンダー)は「心の性」の問題であるいっぽう、「LGBは、性的嗜好(原文ママ)の話」だとし、女子校へ通っていた自身の中学高校時代を振り返りながら、杉田氏はこう述べている。
 

女子校では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。



「偏見」というのは文字通り「偏ったものの見方」のことであるが、いまどきここまで偏見に満ちあふれた文章もめずらしい。異性愛者である(と自認している)杉田氏にとって、同性愛は「一過性」の「疑似恋愛」にすぎず、時がたてば「みんな」「普通に」異性と恋愛し、異性と結婚「できる」のだという。一体どこまで自己中心的で傲慢になれば気が済むのか。
 
もちろん、誰だって他者に成り代わることはできないのだから、自分を中心に考えてしまうのは仕方のないことだ。しかし人間には「想像する」という能力がある。杉田氏はどうやらご存知ないようなので、まことに僭越ながら筆者が教えて差し上げたい。人間には想像力があるのだ。
 
また杉田氏は同性愛者を「不幸」だと言ってはばからないが、まったくもって余計なお世話である。自己中心的な他人から勝手に「不幸」のレッテルを貼られることこそが、最大の不幸だ。
 
 
杉田氏の主張「LGBとTを一緒にするな」は、次に、学校におけるトイレの使用法を問題視する。「心の性」に応じたトイレや更衣室を使用できるようにしよう、という動きについて、
 

Tに適用されたら、LやGにも適用される可能性だってあります。自分の好きな性別のトイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱です。



と述べている。
 
ここでは差別や偏見以前に、文章が論理的に(しかも二重に)破綻している。たった数段落前の見出しで「LGBとTを一緒にするな」と自分で言っておきながら、自分がLGBとTを一緒にしてしまっているではないか。
 
杉田氏自身が指摘するように、トランスジェンダーは「心の性」の問題であり、同性愛は「自分が好きになる性」の問題である。「心の性」に応じたトイレが選べるようになることと、「自分の好きな性別のトイレに誰もが入れるように」なることには、まったく因果関係がない。ゆえに「Tに適用されたら、LやGにも適用される可能性だってあります」というのは間違いであり、これが一つ目の破綻である。
 
そして二つ目、これは論理の破綻というよりも単純なヘイトと言ったほうがいいかもしれない。杉田氏は「LやG」の人々が「自分の好きな性別のトイレ」に入れることを大変に懸念されているようだが、これはとっくの昔からすでにそうなっていることだ。男性として男性が好きなゲイは男性用のトイレを使っているし、女性として女性が好きなレズビアンは女性用のトイレを使っている。それでも「世の中は大混乱」になっていない。大混乱になっているのは杉田氏のほうである。
 
杉田氏に論理性がないことを責めはしないが、論理性のない「意見」をあたかも「正論」のごとく広め、それによってヘイトを煽る行為は断罪されてしかるべきものだ。そしてここでは『新潮45』編集部の責任も問われる。今回の問題に関して『新潮45』編集部は「個別の記事に関して見解を示すことは控える」とコメントしているが、すくなくとも論理的に破綻している文章は、校正段階で止める必要があるのではないか。
 

またこの「トイレ問題」を俎上に載せるにあたって、杉田氏は以下のような問題提起をおこなっている。
 

自分が認識した性に合ったトイレを使用することがいいことになるのでしょうか。


 
この問いかけ自体がおそろしい。シスジェンダーの女性である(と自認する)杉田氏は、自分が「男性用のトイレしか使うな」と言われたらどうするつもりなのだろうか。ここにも杉田氏の、徹底的なまでの想像力の欠如があらわれている。
 
 
さらにダメ押しのように、杉田氏はこうも書いている。
 

最近はLGBTに加えて、Qとか、I(インターセクシャル=性の未分化の人や両性具有の人)とか、P(パンセクシャル=全性愛者、性別の認識なしに人を愛する人)とか、もうわけが分かりません。なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう。



「もうわけが分かりません」。笑い事ではないのだが、「もうわけが分かりません」の部分には、失望を通り越して思わず笑ってしまう。
 
「なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう」。それは男と女、二つの性には収まらない人がごまんといるからである。想像することができないのなら、まずは知識を吸収して、考えることからはじめなくてはならない。「もうわけが分かりません」と匙を投げ、自らすすんで思考停止する人に、生き方を決められる筋合いはない。

   

 

WRITERこの記事の投稿者

K野


たすけて・・・

 
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