杉田水脈議員による『新潮45』寄稿の “全文” に抗議を表明します

 

TOPICSトピックス

杉田水脈議員による『新潮45』寄稿の “全文” に抗議を表明します

2018.07.27



自民党の杉田水脈(みお)議員が『新潮45』8月号に寄稿した「『LGBT』支援の度が過ぎる」というタイトルの文章は、不勉強、傲慢、論理性の破綻、想像力の欠如など、複数の観点において「度が過ぎる」ものだった。文中で言及されるLGBTの人々はもとより、すべての人間に対する冒涜を含んだこの文章を、看過するわけにはいかない。
 
記事に対するネット上での批判に対し、杉田議員は「ちゃんと新潮45を購入して全文を読んでから批判していただきたいです。雑誌の一部だけ写メ撮ってSNSに流すとか、営業妨害では?と思ってしまいます」とツイートしている(当該ツイートは現在削除されている)。
 
そこで筆者は『新潮45』を購入し、実際に全文を読んでみたが、差別、偏見、誤認識、不勉強、矛盾、そして開き直りが全文にわたってまんべんなく散りばめられたその内容は、見るに堪えないほどひどいものだった。最も大きく取り沙汰されている「生産性」という言葉以外にも、この文章は数多くの問題を含んでいる(むしろ、たった3ページ半の原稿にこれほど多くの間違いを詰め込んだ杉田氏の「生産性」には驚かされる)。細かい点を挙げればキリがないが、ここでは大きく3つの軸から、杉田氏の暴論に対して反駁と抗議をおこなう。
 

「生産性」は人間を測る尺度ではない。絶対に。

まずは例の「生産性」にまつわる議論から始めよう。
 
杉田氏は、税金の使い途としてふさわしいかどうかを測る基準として、「生産性」という言葉を用いている。子育て支援や不妊治療に対する税金の投入には少子化対策という「大義名分」がある、としたうえで、
 

しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない。つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。


 
と述べている(引用中の強調は筆者。以下同)。
 
 
これに対する反論はただひとつ、「生産性」は人間を測る尺度ではないということだ。
 
「生産性」に関しては、「じゃあ子供をつくらないカップルや高齢者、子供にも『生産性がない』から、税金を投入するなということか」とする反論もある。また自民党の一議員として、安倍晋三夫妻に子供がいないことについて杉田氏がどう折り合いをつけているのか、というのも非常に気になるところだが、こうした反論の仕方では、問題の本質には絶対にたどり着けない。なぜならこれらの反論もまた、杉田氏がいう「生産性」の土俵を出るものではないからだ。
 
そうではなく、そもそも人間に対して「生産性」という尺度を当てはめること自体が大きな誤りなのだ。すでに多くの人が指摘しているように、かつて起こったナチスによる大量虐殺は、「生産性」を根拠とする優生思想によって正当化された。またちょうど2年前に日本で起こり、戦後最悪の大量殺人事件といわれた「津久井やまゆり園」での障害者殺傷事件は、「不幸をつくる障害者はいなくなればいい」と考える犯人の手による凶行だった。
 
何度でも言うが、人間の価値は、「生産性」などというものでは絶対に測れない。これはLGBTに対する差別であるのみならず、そうした架空の価値基準によって切り捨てられてきた人々の歴史、そして彼らの抵抗と犠牲によって勝ち取られてきた権利に対する侮辱である。さらに言えば、人間のすべての「非生産的」な営み――しばしばそれは「文化」と呼ばれる――を真っ向から否定する言説でもある(もちろんこれは杉田氏いうところの「生産性」に相対する「非生産性」であって、文化の価値もまた生産性では測りえない)。

   
 


 

WRITERこの記事の投稿者

K野


たすけて・・・

 
他の記事を見る