卑屈にならず生きること

 

TOPICSトピックス

2018.11.18
ゲイとして、そして精神疾患を持つダブルマイノリティとして、僕は卑屈な考え方に陥ってしまっていた時期があります。「ゲイなんて…」、「病気がある自分なんて…」とひたすらゲイであること、持病があることを責めていました。今ではすっかりそんな卑屈な考え方をしなくなりましたが、ここではそれにどんな意義があるのか考えてみます。




 

ゲイの立場から


僕は日本のゲイに結構自虐的な人が多いと感じていますが、かつては僕も卑屈で自分だけでなく「ゲイ」というものに対しても自虐的な見方をしていました

ここでいう自虐的・卑屈な考え方とは「ゲイなんてみんな性格悪くてダメ…」みたいなことですが、もちろん明確な根拠なんてありません。すべて自分の些細な経験を過度に「ゲイ全員」に一般化して嘆いているだけです

ゲイは確かにセクシャル・マイノリティとして生きづらいことがたくさんありますが、それでも僕はゲイ自身が誇りを失ってはいけないと今では思います。

自虐的なゲイの多くはTwitterなどSNSで「ゲイは○○だからクソ」みたいな発言をしがちですし、僕もそれに近いことを言っていた時期がありました。しかし、そうなると自分の自尊心が損なわれるだけでなく、「ゲイ」という世界の雰囲気すら悪くしてしまう気がします。ゲイが自らゲイの価値を下げているというイメージです。

つまり、ゲイとして卑屈な生き方をやめることは、自分自身の気持ちを楽にするだけでなく「ゲイ」の社会的な立場を守る、向上させることにも実は繋がっているわけです。
 

ダブルマイノリティの立場から


ダブルマイノリティはいろんな種類がありますが、ここでは僕のようにセクシャル・マイノリティでありながら、同時に精神疾患を持っている人を指すことにします。

卑屈な生き方をやめることは、ダブルマイノリティにとっては最も生きやすさに直結することであると同時に、最も難しいことかもしれません

正直、我ながらダブルマイノリティの苦労は凄まじいものがあると思っています。ノンケ(異性愛者)に対してだけでなく、同じゲイに対しても病気について話すのは勇気が要りますし、なかなか気軽に相談もできません。

そしてもちろん、症状で憂うつになったり時には周囲の人を振り回してしまうことになったり…そんな繰り返しで自尊心は必然的に傷ついていき、いつのまにか物事を卑屈に見てしまい、さらに調子を崩すという悪循環に陥ります。

でも、悪循環は一つの要素を取り除くことで止めることができるものです。その「一つの要素」として「卑屈・自虐的な考え方」が存在しています。いきなり考え方そのものを変えることは難しいでしょうが、たとえば「自虐的なことは口にしない」、「卑屈な発言をSNSで連発しない」など小さなことに気をつけるだけで、意外と清々しい気分になるものです

卑屈な生き方をやめることは、ダブルマイノリティにとって悪循環を断ち切る最終・最大の課題かもしれません。
 

まとめ


以上、卑屈さがその人や社会に与える影響、そして卑屈な見方をやめることの意味を「ゲイ」と「ダブルマイノリティ」の二つの立場から考えてみました。SNSの発達で文句や自虐的な発言をついつい投稿してしまうことが増えていると思いますが、皆さんはどうですか?それをやめるだけで、もしかするとちょっと気が楽になるかもしれませんよ。

 

WRITERこの記事の投稿者

仲泊

 
ゲイ&ダブルマイノリティのリアル
ゲイとりっぷ!

統合失調感情障害という精神疾患を抱えながら、音楽関連の研究者を目指しているゲイのミュージシャンです。公式ブログもぜひご覧ください!


      
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