ゲイ&ダブルマイノリティのリアル① 僕がゲイとして「強くなる」まで

 

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2017.11.22

ゲイ&ダブルマイノリティのリアル① 僕がゲイとして「強くなる」まで

 


 はじめまして!仲泊(なかどまり)です。
現在音楽活動をしながら通信制大学に在学している、LGBTGにあたるゲイです。

今回は自己紹介として僕のゲイとしての転機が訪れる大阪進出までを振り返りながら、今の暮らしぶりもお話しします。少し長いですが、「こんなゲイの人生もあるんだな」と感じながら読んでみてくださいね!


 

女の子が好きだった?小学生時代まで


 
1993年に沖縄県で生まれた僕は、小さい頃はとにかくおとなしく繊細な子だったそうです。僕としては毎回赤面する話ですが、保育園にいたころに滑り台に登ったものの怖くて降りられなくなったとか…。
 
しかし、小学生になってからは活発で毎日外で鬼ごっこをしていたことを覚えています。小学生の頃は「ゲイ」なんて言葉は知らなかったし、そもそも「自分の性の対象が男性」ということも全く自覚していなかったです。
 
当時は同級生との男子とも外で元気よく遊んでいましたが、女の子と遊ぶことも多く、バレンタインデーにチョコをもらってホワイトデーにお返しするなんてことも毎年ありました。でも、今ゲイとして思い返してみると、女の子に対する「好き」のような感情は「友情」に近かったのかなと思います。
 
高学年からは同級生の男子を見て「かっこいいな」と思うことが多くなりましたが、僕の初恋は中学校に入ってからです。それも長きに渡る片想い…。


 

中学生時代、長い長い片想いの始まり

 
僕は中学生になってからすぐに、同じクラスの男子に初恋をしました。この頃にはっきりと自分の性の対象が男性だと自覚するようになり、家族がパソコンを購入してインターネットを使えるようになったことで「ゲイ」という言葉や情報を知っていきました。
 
片想いの相手は僕のことを「親友」と言ってくれて、スキンシップがかなり多かったので僕はついつい期待してしまいましたが、彼に彼女ができてすべてが勘違いだったという事実を突きつけられます。
 
「彼がゲイなはずがない」と分かっていましたが、どこかでわずかな期待をしていたのでしょう。「彼女できました報告」のその日は家に帰って大号泣してました。
 
彼は中学2年生の時に転校したのですが、それでも連絡はずっと取ってたまに会っていました。そして、僕は高校を卒業するまで、たとえ違う学校でも彼のことをずっと好きでいた
ので、他の人に恋愛感情が向くことはありませんでした。


 

心の調子が崩れていく高校生時代


 実は中学2年生の夏ごろに僕は父親と別居し、母子家庭になりました。原因は父親の不倫や母への言葉の暴力でした。中高一貫の私立学校に通っていた僕の学費を稼ぐため、母は一生懸命に働いていましたが、弱音を吐くこともありました。
 
高校生になってからは家計を気にして修学旅行に行かないことを選びましたし、辛いことがたくさんありました。認知症を抱える祖母の介護にも疲れている母を見つつ、学校がバイトを禁止していたこともあって何もできない自分の無力さに虚しくなる毎日でした。
 
そんな心の負担が積もりに積もって、おそらく受験のストレスと重なったのだと思うのですが、高3の夏に僕は理由もなく学校に行けなくなり、抑うつなどの症状が出て当時は精神科で「軽度の統合失調症」と診断されました。その後は地元の大学になんとか現役で合格し、進学しましたが、すぐに調子を崩して休学することになります。
 

 

二回目の大学進学で大阪へ


 
19歳の頃、病気の調子がだいぶ良くなってきて「もう1回ちゃんと受験勉強がしたい」という気持ちが出てきました。そこからは母の了解も得て関西の大学を目指して再び独学の受験生になりました。
 
もともと地元の大学は志望校ではなかったので、受験生時代に後悔が残っていたからというのが一つの理由ですが、実は都会はゲイもたくさんいて楽しいだろうなという思いもありました。
 
そして大阪大学に合格した僕は、20歳にして沖縄を出て大阪で暮らすことになりました。


 

カミングアウトのきっかけは「ありがたみ」

 
一人暮らしあるあるですが、大阪で暮らし始めてから僕は母のありがたみを強く感じるようになりました。そして、信頼も感謝もしている母には僕がゲイであることを伝えないといけないと思うようにもなり、ある日の夜に仕事が終わった母に電話をし、自分がゲイであることを打ち明けました。
 
すると「なんとなく分かっていた」らしく、意外とすんなり僕の母へのカミングアウトは完了しました。そこからは大学の友達にも高校時代の友達にも自分がゲイであることを打ち明け、オープンなゲイとして過ごしています。


 

ダブルマイノリティという現在


 
高校生時代に発症した僕の「統合失調症」は、いわゆる躁うつ病としても知られる「双極性障害」に大阪で診断が変わり、今でも治療していますし、おそらく一生服薬は続けていかないといけないです。そして、結局頑張って入学した大阪大学も病気の調子から通学が厳しくなり、通信制大学に編入しました。
 
ゲイ+双極性障害」のように、少数派としての要素が2つあることを最近は「ダブルマイノリティ」などと呼ぶことがあります。
 
今でこそ啓発的な意味を込めて僕はゲイであることも双極性障害であることもオープンにしていますが、一時期は双極性障害のことは特に同じゲイの方に対しては隠すことが多かったです。
 
大阪ゲイの出会いの機会が沖縄と比べものにならないくらい多いですし、会う人の中には「この人いいな」と思うことももちろんあります。しかし、双極性障害のような精神疾患に対するイメージは一般的にまだあまりよくないこともあり、恋愛対象になるゲイ同士だからこそ引かれるのが怖くて持病のことを言い出せないことが多かったです。
 
でも、いま同棲している彼は僕の病気のことを受け入れてくれていて、通院も一緒にしています。そして実は母も大阪に引っ越してきて、一緒ではないですが近くに暮らしているので、新しい家族ができたかのようにみんなで支えあって暮らしています。


 

自分らしくあればいい

 
双極性障害を持つゲイ、というのは社会的にはなかなか弱い立場です。だからこそ強く誇りをもって生きられる日々を目指したいですが、僕はいま「強さ」は「自分らしさ」と同じだと考えています。
 
他の人と同じ土俵で戦う中の強さではなく、「誰が何と言おうと、これが僕の人生」と言い切れる生き方をすること、それが僕の中での「強くなること」です。
 
叶わない初恋や厳しい家庭環境、おまけに病気まで降りかかってきた10代の頃は、もう周りのような人生は歩めないと虚しく悲しい思いがありました。でも今は、「これもこれでいいじゃん」って思えていて、ちょっとは強くなれたかなと感じています。
 
いまある小さい一つ一つの幸せを大切にしながら、これからも自分らしく強く生きていきます。


 
 
Writer's Info

仲泊(なかどまり)

双極性障害を抱えながら通信制大学に通う20代のゲイ。将来は音楽に関する研究者を
目指しており、公式ホームページ「双極性音響」で音楽活動も展開中。
Twitter:@Nakadomari327
Instragram:@nakadomariofficial

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