「セクシャルオリエンテーション」をナナメ読み

 

TOPICSトピックス

「セクシャルオリエンテーション」をナナメ読み

2018.01.03

 

 こんにちは、はじめましての方ははじめまして、「LGBTsナナメ読み!」を担当させていただいている古怒田です(〈ナナメ読み〉についてはこちら)!

  今回は〈セクシャルオリエンテーション〉を少しナナメ読みしてみたいと思います。
 
 

〈セクシャルオリエンテーション〉って?

 
 日本では〈性指向〉という訳語で知られている〈セクシャルオリエンテーション〉ですが、最近では〈SOGI〉という言葉の浸透とともに一般的な認知度が高まっているように感じます。
 〈セクシャルオリエンテーション〉とは、文字通り、〈誰かへと性的に向かう仕方〉であり、それが個々人によって異なることを示す言葉です。

 例えば、異性を好きになる異性愛や同性を好きになる同性愛が代表的です。けれども、それだけではなく、ボクのように、性別にとらわれずひとを好きになるパンセクシャルや性行為や性愛と切り離して他者と親しい関係になるアセクシャルなどもセクシャルオリエンテーションには含まれます。

 けれど、〈LGBTs〉ではなく〈LGBT〉の認知がより高いこともあり、まだまだ異性愛と同性愛以外のセクシャルオリエンテーションの認知は低いと感じます。


 では、なぜわたしたちは異性愛と同性愛以外のセクシャルオリエンテーションがあることを理解したり、体験したりする必要があるのでしょうか?
 
 今回はこの問いを踏み台にして、〈セクシャルオリエンテーション〉について、特にトランスジェンダー(形態学的ないし紙面上の性別とは異なった性を生きるあり方)に関係させつつナナメ読みしてみたいと思います。
 

 

トランスジェンダーにおけるセクシャルオリエンテーションの歴史

 
 現在の日本ではいまだその考えが強いように、トランスジェンダーとはジェンダーアイデンティティ(性的自己形成)にかかわることであり、トランスジェンダーの〈セクシャルオリエンテーション〉はアメリカでも昔はあまり語られることがありませんでした。
 別の言い方をすれば、〈トランスジェンダー女性(男性)は、性別適合手術後には、異性愛の女性(男性)と同じセクシャルオリエンテーションを持つ〉ということが自明のものとされていました。


 けれどもアメリカでは、1992年のレズビアンSM雑誌『ブラッド・アタック』がトランスジェンダーのセクシャルオリエンテーションが必ずしも異性愛的ではないことを紹介したことで理解が変化します(cf.パトリック・カリフィアほか、竹村和子解説、石倉由+吉池祥子ほか訳、2005『セックス・チェンジズ トランスジェンダーの解剖学』作品社:315-316)。
そして、ホルモン投与や乳房除去手術をしながらも男性へと身分証明を変えることなく踏み迷う主人公を描いた、レスリー・ファインバーグの小説『ストーン・ブッチ・ブルース』(1993)がひとつの記念碑的な作品となります。この作品のなかでは、レズビアンとトランスジェンダーやトランスジェンダー同士の関係、またブッチ(レズビアンにおける男性役割の名前)同士の関係などそれまで語られることのなかったさまざまなセクシャルオリエンテーションが現れています(cf.前掲『セックス・チェンジズ トランスジェンダーの解剖学』:316-319)。

 このように、トランスジェンダーのセクシャルオリエンテーションは歴史的にみて、必ずしも異性愛に限定されたものではないのです(そして、トランスジェンダーのジェンダーアイデンティティにはセクシャルオリエンテーションも関係しているのです)。
 
 

絡み合った関係性

 
 さて、では異性愛的なセクシャルオリエンテーションをもたないトランスジェンダーのセクシャルオリエンテーションは〈同性愛〉なのでしょうか?

 もちろん、同性愛として指向されていらっしゃる方も多くいると思います。実際、先述のファインバーグは自らを〈トランスジェンダーのレズビアン〉と称しています。
 ただ、ここではもう少し〈ややこしい〉関係性に言及したいと思います。
 ボクは、自分のことを、ジェンダークィア、すなわち〈規範的な性別(女性/男性)から逸脱してゆくあり方〉を名乗りつつ、お化粧をしたりレディースの洋服を着たりしています。そして、ボクのパートナーは、形態学上、また紙面上は女性です。
 このとき、ボクとボクのパートナーとの間の〈セクシャルオリエンテーション〉は何なのでしょうか?
生物学上は男性と女性の〈異性愛〉ですが、基本的な外見上は〈同性愛〉ともいえます。加えて、そもそも、ボクらはお互いに〈パンセクシャル〉なので相手を性別でみていません。

 このように〈異性愛/同性愛〉の区分にきっぱりと分けることのできない絡み合った関係性をボクとボクのパートナーは結んでいます。
 

 

〈ホモエラティック〉

 
 こんなふうに、セクシャルオリエンテーションはとても複雑に絡み合っていることがあります。異性愛とか同性愛とかそんなふうにスパッと分けられないことがあるのです。

 こんな絡み合った関係性を、トランスジェンダーを哲学的な観点から研究しているアメリカの研究者ゲイル・サラモンは〈ホモエラティックhomoerratic〉と呼んでいます(cf.Gayle Salamon,2010,“Assuming A Body-Transgender and Rhetorics of Materiality-”Columbia University Press:71)。これは、同性愛者の医学用語である〈ホモエロティックhomoerotic〉と〈踏み迷い逸脱すること〉を意味する〈エラティックerratic〉をあわせた造語です。

 〈ホモエラティック〉とは、トランスジェンダーやジェンダークィアのセクシャルオリエンテーションが、同性愛的である可能性を示すだけでなく、そのように同性愛的でありながら同性愛的なあり方から〈踏み迷い逸脱する〉ことがあるということを意味しています。
 そして、そのような〈踏み迷い逸脱すること=エラティック〉は「セックス、ジェンダー、そして身体同士の水準での違いやひととしての異なり(cf.前掲、Gayle Salamon,2010:70)」に基づいているとサラモンは語ります。


 

セクシャルオリエンテーションという〈問い〉

 
 サラモンが語るような〈ホモエラティック〉はボクとボクのパートナーの関係性にいくぶんしっくりとくる言葉です。
 ボクらは、女性に近い〈同性的〉な外見をしつつも、身体のふれあいやお互いのひととしてのあり方のなかで、〈同性〉であることから〈踏み迷い逸脱〉しています。

 ボクには、こういった〈踏み迷い逸脱すること〉は〈セクシャルオリエンテーション〉そのものに含まれているものであるように思えます。
 ひとは自分との〈異なり〉や〈同じ〉から誰かを指向しますが、必ずといってよいほど、その〈期待〉は的外れとなり、〈踏み迷い逸脱〉します。けれど、この〈踏み迷い逸脱すること〉こそ、セクシャルオリエンテーションのあり方なのではないでしょうか。〈期待〉からはずれ、自分が予想もつかなかったパートナーのあり方に直面することに、セクシャルオリエンテーションの魅力のひとつがあるのではないでしょうか(踏み込んだ議論は前回の記事を参照されてください)。

 愛することは、〈同じもののうちでの違い(cf.前掲、Gayle Salamon,2010:70)〉から踏み迷いと逸脱を背負います。
 だから、セクシャルオリエンテーションを、自分に対しても、他者に対しても、〈異性愛〉、〈同性愛〉などと型にはめず、問うことが必要なのだと思います。というのも、セクシャルオリエンテーションとは〈踏み迷い逸脱する〉という〈問い〉そのものなのですから。
 


前回までの連載
「LGBTsナナメ読み!とは?」
「LGBTsの「s」をナナメ読みする」
「「誰の」LGBTs?―「わたしたち」をナナメ読みする―」
「「性愛」をナナメ読みする」

 

WRITERこの記事の投稿者

古怒田望人

LGBTsナナメ読み!

ジェンダークィアのパンセクシャル。都内で、マジョリティ、マイノリティの垣根を越えて性を共有する哲学サロン「ふらてるにて」を運営。
 

他の記事を見る