LGBTsの「s」をナナメ読みする

 

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2017.11.22

LGBTsの「s」をナナメ読みする





 みなさん、こんにちは、はじめての方ははじめまして。「LGBTsナナメ読み!」を担当させていただいている、古怒田です!(この連載の主旨は前回の記事をご覧ください:「LGBTsナナメ読み!とは?」)。

 第二回の今回は「LGBTs」の「s」をナナメ読みしてみたいと思います。
 
 

「s」って何?

 
 まず、LGBTsの「s」とは何でしょうか?辞書的に説明するなら、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)に含まれない性的マイノリティを意味する記号です。そこには、例えば、性別にとらわれず恋愛をする「パンセクシャル」、自分の性別を決定しない(できない)「クィア」、一度に複数の人と恋愛に近い関係をもつ「ポリアモリー」、自らを一般的な男女の枠組みでとらえない(られない)「Xジェンダー」などが含まれるとされます。
 
 

なぜ略号を表記しないの?


 ここで一つ疑問が出てきます。「s」に含まれるとされたパンセクシャルやクィアなども、LGBTのようにそれぞれ記号化することは可能です。たとえば、LGBT「PQ」のように(P=パンセクシャル、Q=クィア)。ですが「LGBTs」の「s」という略号は、その記号化をある意味で拒絶しています。それはなぜなのでしょうか?

 そこで、「略号で規定してゆく」という観点から、「LGBTs」の「s」をナナメ読みしてみたいと思います。
 
 

定義の際限なさ

 
 物事は「LGBT」のように定義をしてゆけば際限なく定義をすることができます。例えば先ほど「LGBTPQ」のようにどんどんと略号を加えてゆけばよいわけです。
 ですが、そこには一つのパラドクスがあります。それは「定義の際限なさ」です。以下では、この「定義の際限なさ」という現象がネガティブなものではなく、ポジティブなものであることを話したいと思います。

 ちょっとした思考実験をしてみましょう。目の前にとても詳細にみることのできる地図があるとします。皆さんが今いらっしゃる場所もつぶさに見ることができます。ですが、その地図をみている皆さんがそこにはいません。ですので、みなさんはそこに地図を見ている皆さんご自身を書き込むことができます。
 しかし、そうすると、今度は、「地図を見ている皆さん自身を『書き込んでいる皆さん』」をまたさらに地図に書き込まなければ、その地図に皆さんを正確に描くことはできません。そうして、さらに書き込む皆さんを書き込む必要がでてき、地図に皆さんを書き込む作業は「際限なく」続いてゆきます。

 この思考実験は、私たちがこの世界や社会を生きる仕方の比喩です。上記の地図の例のように私たちはいつも自分をこの世界や社会に書き込んでゆき、自分のありかをつかもうとします。
 ただここでポイントなのは、書き込むという仕方で、自分を定義してゆくことは「際限がない」ということです。広い言い方をすれば、「何かを定義する」ということは「際限がない」、すなわち「いつも新しい可能性に開かれている」ということを意味します。この意味で、「定義の際限なさ」は、つねに物事を定義することが、新しい多様性に開かれざるをえない・・・・というポジティブなものなのです。

 この「際限のなさ」はもちろん性的マイノリティの定義づけに対しても言えます。どんどんと略号を増やすことは際限をもちません。
 こう考えてみるとLGBTsの「s」があえて何か限定された略号ではないことが、ポジティブな意味を持ってきます。どういうことかというと、「s」に常に色々な言葉が代入可能である以上、「s」はその際限なさがもつ新たなものへの多様性を表しているものだということです。
 
 

「際限のなさ」の責任

 
 LGBTsの「s」はこんなふうに外へ外へと広がる多様性を表すひとつの記号だと感じます。
 略号がもつ定義することの「新しい多様性に開かれざるをえない」という特徴のなかで、LGBTsを何らかの仕方で引き受ける人たちに向けられるのは、ひとつには、「性趣向」としてある種軽視されてきた性のあり方への「責任」です(「性趣向」には、SM、トップレスやラバースーツ、サブカルチャー[例えば男の娘]のようなものが例としてあげられるでしょう)。というのも、「s」がどんな性的なあり方もとりこんでゆくような記号である以上、そこにはこういった「性趣向」も含まれてくるからです。

 「責任」だからといって、LGBTsにかかわる人たちが「そうなるべき」だというわけではありません。もちろんGなり、Lなり、Bなり、Tで、たとえば、SMと結びつく方々もいるでしょうが、「わたしはそうではない!」という方もいらっしゃると思います(ただ、この意味でLGBTそれぞれの略号自体、「定義の際限のなさ」から逃れられるものではありません)。
ここで「責任」というのは、「応じる力」です。どいうことかというと、「責任」は欧米の言葉では「応答-できる力respons-ability」を含意するからです。たとえ自分の観点とはまったく違った性のあり方でも、そのあり方が投げかける問いに「応じる」ことは、LGBTsの「s」という記号が喚起する新しい多様性への「際限のない」広がりの中で必要になります。

 たとえば、ケイト・ボーンスタインというアメリカのトランスジェンダー当事者兼研究者は、ボーンスタイン自身がSM実践者であることも踏まえつつ、SMには「男女」の性役割という縛りがない限りで、ジェンダー(ボーンスタインの用例では、社会的に作られて押し付けられる男女の区別の意)から自由だと語ります(cf.『隠されたジェンダー』筒井真樹子訳 新水社[2007]pp.44-48)。
 このようにSMひとつを少し例にとってみても、それに応答することは、「性愛関係のなかで男女の役割分担(あるいはそれに近い役割分担)は本当に必要なの?」という性を考えるうえで大切な問いを与えてくれます。

 

今回のまとめ


 LGBTsの「s」をナナメに読むことで、その記号が意味する広い可能性が見えてきました。LGBTsの「s」は性的マイノリティのあり方を凝り固まったものにしない力を秘めていると感じます。
 今回、読者の皆さん、そして私自身が心に留めるべき問いは、「わたしはどこまで応じることができるだろうか(あるいは「できているのだろうか」)」という問いにまとめることができるように思います。
 ひとはどうしても、ついつい、自分の落ち着つく範囲だけを現実だとみがちです。けれど、地図の比喩が示していたように、この世界や社会を生きることは、新しい可能性に開かれざるをえないこと、同時に、その可能性へ応答することを伴います。
 LGBTsの「s」は、LGBTsにかかわるひとたちに、そのような「責任」があることを投げかけているのではないでしょうか。
 

◆前回までの記事
LGBTsナナメ読み!とは?

 

 

Writer's Info

 古怒田望人(こぬた あさひ)

 ジェンダークィアのパンセクシャル。大阪大学大学院でフランス現代思想とトランスジェンダーにかかわる研究をおこなっている。
 また都内で、マジョリティ、マイノリティの垣根を越えて性を共有する哲学サロン「ふらてるにて」を運営。
Twitter:@ilya_une_trace

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