「性表現」をナナメ読み

 

TOPICSトピックス

2018.04.11



こんにちは、はじめましての方ははじめまして、「LGBTsナナメ読み!」を担当させていただいている古怒田です(「ナナメ読み」についてはこちら)!
  今回は「性表現」についてナナメ読みしてみたいと思います。
 

 

「性表現」とは?

 
 「性表現」とはどのような意味でしょうか?ひとつには自分の表現したい性のあり方を「自発的」に表現することを意味します。この「自発的」というのがポイントで、というのも「表現」の語源であるexpressionは、「外へ‐自らを押し出すex-press」を意味するからです。この点で社会や文化から押し付けられる「性役割」と「性表現」は区別されます。今回はこんな「性表現」について少しナナメ読みしてみたいと思います。
 
 

性表現の「トラブル」

 
 「性表現」とは、上記のように「自発性」つまり、「自ら(みずから)」行う主体的な行為です。けれども、その行為が「自ら(みずから)」から「自ずから(おのずから)」へと移り「表現」する主体が意図しないような事態=トラブルを招くことがあります。

 ここで、ボクの身近な例を見てみたいと思います。そこは女性トイレと共用トイレがあるお店だったのですが、ボクは、女子トイレは空室でしたが、使用中だった共用トイレが空くのを待っていました。しばらく経つと何人かの女性がトイレの空き状況を見に来たのですが、ボクが並んでいるのをみてみな席に戻ってゆきました。この時、おそらく(ボクの容姿に驚いて戻っていったのではないかぎり)、その女性たちはボクが「女性であり、使用中の女子トイレを待っている」と思ったのではないでしょうか?

 この事例においてまさに「性表現」はあいまいな行為となっています。ボクはあくまでも「自ら(みずから)」においてはジェンダー・クィアという男女の性別を超越するような存在として振舞っていたのですが、ボクの身なりや格好から「自ずから(おのずから)」女性に見られ、他の女性の女性トイレの使用を阻害するという「トラブル」を生じさせています。もちろん、その齟齬にボクが気がついて「ボクは女性ではありません」と相手に訂正することも可能ですが、そうした「カミングアウト」がより状況を混乱させる可能性はおおいにあります(そしてそもそもそうした「カミングアウト」が必要なのかも問われます)。
 このように「性表現」は「自発的」なものであると同時に、当人の意思の外部で「自ずから(おのずから)」トラブルを生じさせる可能性があるのです。
 
 

表現の「媒介(=条件)」としての身体

 
 なぜ、このような事態=トラブルが生じるのでしょうか?それは、「性表現」がもつ「表現」の構造にあると思われます。
 何かを表現したいと思うとき、そこには必ず何らかの「媒介」が必要となります。例えば、言葉を綴りたいのであれば、今ボクがしているように、パソコンという「媒介」が必要です。そして、この媒介の中心的な紐帯をなすのが、ひとが生きている「身体」そのものです。ボクが手や上半身を使ってブラインドタッチできなければ、こうしてパソコンで言葉を綴ることはできません。
 「表現」を「自発的」に可能にするには、この身体という媒介をつねに必要とします。それは「性表現」においても同様であり、身体が可能にする振る舞いや仕草から「自ら(みずから)」性表現は生じます。

 けれども、逆に言えば「表現」とはつねにこのような「身体」に「条件付けられた」行為だということです。どんな表現も身体をまずは基点として生じるのです(ここでの「身体」は生物学的なものに限定されることはなく、所作や衣服のような文化的、社会的なものにまで拡張されます)。だからこそ、先述のトイレのケースでボクの性表現は「トラブル」を生じさせていたのです。というのも、ボクの身体が占めていた位置(共用トイレと女子トイレの間)やボクの背格好という身体性が「自ずから(おのずから)」ボクの性表現を条件付けていたからです。


 このように見てゆくと性表現の自発性は、身体という自然(「自ずから(おのずから)」)、条件と切り離せないことが分かります。確かに、ひとはさまざまな仕方でこの身体という条件の「ありよう」を変えることができます。例えば、筋肉をつけることで身体をコントロールしたり、ホルモン治療や性別適合手術を介することで当人の表現したいと望む性のあり方に近づけたりと。けれども、身体という条件を生きているという「事実」を変えることはできません。ひとは「自ら(みずから)」表現したいと自発的に望むことと、身体が条件付ける偶然的な「自ずから(おのずから)」の状態、状況の狭間でつねに表現しています。「性表現」もまた、この自発的な行為と偶然的な身体が引き起こすトラブルとの間で生まれます。

 おそらく性表現において重要なことは、それぞれ個々人によって異なり、萎縮していったり、拡張していったり、変化してゆくこの身体の自然さ、その「自ずから(おのずから)」とどう折り合いをつけてゆくのかなのだと思います。


WRITERこの記事の投稿者

古怒田望人

LGBTsナナメ読み!

ジェンダークィアのパンセクシャル。都内で、マジョリティ、マイノリティの垣根を越えて性を共有する哲学サロン「ふらてるにて」を運営。
 

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