「LGBTsナナメ読み!」とは?

 

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2017.11.08


 
 はじめまして!今回から「LGBTsナナメ読み!」という連載を担当させていただくことになった古怒田と申します。これから宜しくお願いいたします!

 今回は連載の初回ということで、この「LGBTsナナメ読み!」の主旨やテーマをお話ししたいと思います。
 
 

「ナナメ読み」とは?

 

 まず「ナナメ読み」ってなんなのかを考えてみたいと思います。
 「ナナメ読み」という言葉には、「何となく流し読みする」という意味合いもあるかと思います。ですが、この連載ではこの言葉を別の意味から使ってゆきます。
 この連載がおこなう「ナナメ読み」とは、「物事を真正面からではなく、少し別の角度からみてみよう!」というものです。砕けた言い方をすれば、一般的には少し「ひねくれた」読み方をするのがこの連載での「ナナメ読み」です。
 
  確かに、「なんでそんなことが必要なの?」と思われる方もいらっしゃるでしょう。ですが、物事を「ナナメ」に読むことは、その物事を深く、また多面的に考える上で大切なことです。
 
  具体的な例として、小説の「ナナメ読み」を考えてみます。
  読者のみなさんもご存じかと思いますが、小説には「信頼できない語り手」という描き方があります。
  どのようなものかというと、主に小説のストーリーを物語る語り手の気持ちの不安定さや記憶のあいまいさのために、ストーリーのつじつまが合わなくなり、「この語り手が話している小説の物語はほんとうに正しいものなの?」と、読者を考えさせる描き方です。
  例えば、先日ノーベル文学賞を授与されたイギリスの作家、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(2005)などはこの「信頼できない語り手」の手法が遺憾なく発揮されています。
  このような「信頼できない語り手」を前にしたとき、読者はその語り手の語りによって作られる作品の内容を「真正面から」受けとることをある程度避けなければなりません。なぜなら、その語りが「偽り」であるかもしれないからです。
  そこで読者は、小説に書かれていることを「真正面から」受け取らず、「ナナメに」読む必要があります。例えば、小説の語り手が語っている事とは異なった事実が存在するのではないかと想定してみたり、そもそも語り手は夢や幻覚をみているのではないかと推測してみたりといった具合に。そうすることで、その小説の内容を深く、いろいろな角度から解釈することができます。
 
  この「LGBTsナナメ読み!」もこのようにLGBTsに関わる物事を、「いったん」真正面から読まないようにしてみようというものです。
  ここで気を付けて頂きたいのですが、わたしは「いったん」ナナメ読みすることの大切さをこの連載で話してゆきます。言い換えれば、「ナナメ読みが正しい!」という結論を求めるものではありません。
  「信頼できない語り手」の手法が示すように、「ナナメ読み」は物事を考える際に柔軟で、一面的ではない視点を与えてくれます。この連載の内容が読者のみなさんにどういった受け取られ方をするものであれ、ちょっと「ひねくれた」読み方もまた、物事を見る上で「ひとつの」大切な見方なのだということを伝えてゆければ幸いです。
 
 

「LGBTs」って?

 
 では、この連載でナナメ読みをしてゆく「LGBTs」とはどのような言葉でしょうか。
 「LGBTs」とは、L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダー、そして「s」とは、これらの「LGBT」には含まれないとされる性的マイノリティを総称するもので、性別にとらわれず恋愛をする「パンセクシャル」、自分の性別を決定しない(できない)「クィア」、一度に複数の人と恋愛に近い関係をもつ「ポリアモリー」等が含まれます。
 
 

「LGBT」をナナメ読みする

 

 さて、今回は「LGBT」について「ナナメ読み」してみたいと思います(「s」の意味にかんしてはこれからの連載でゆっくりと考えてゆきたいと思います)。
  
 LGBT教育、LGBTフレンドリー、LGBT活動家などなど、読者のみなさんもLGBTという言葉をいろいろなところでお聞きだと思います。
 この「LGBT」という言葉は、性的マイノリティの社会的な認知を広めたという点でとても大きなものです。
 
  ですが、この言葉の意味を考えながら使っているひとびとがどれだけいるでしょうか?
 
 例えば「LGBT当事者」というニュースの見出しが散見されます。ですが、この見出しにおいては、「LGBT」という言葉の意味があまり考えられていません。というのも、Lであり、Gであり、Bであり、さらにTであるような当事者が存在することはありえないからです。ある意味で、「誤用」以前の問題だといえます。
 このように「LGBT」は、その社会的な認知とは対照的に、その言葉の意味を考えることの大切さが忘れられていると感じます。
 
 

言葉と行為

 
 ここでボクは、「LGBTという言葉の正しい使用法」を述べたいわけではありません。そうではなく、この言葉をつかう方たちが自分なりにこの「LGBT」という言葉を考えて使っているのかを問題にしています。
 
 言い換えれば、LGBT、「それぞれの単語の意味を性格に理解する(説明する)」ことは「必要」だけれども、そのように「真正面に」読むだけでは「十分」ではないと考えます。
 
 そこで、「言葉」というものを、今回は「ナナメに」読んでみたいと思います。
 
 言葉というものは、辞書に記載されている意味を示す記号だけであるわけではありません。言葉とは「行為」でもあります。
 
 たとえば、「寒い」という言葉は、単に「この部屋が寒い」という事実を表すだけではなく、「寒いから服を着よう」という自分が行う行為や、「寒いから暖房をつけて」というその部屋にいる誰かへの行為の促しとなります。このように、言葉は、単なる記号ではなく、「具体的に何かをすること」つまり、「行為」と切り離せないものです。
 
 このことを踏まえたうえで、「LGBT」という言葉を考えるのなら、「LGBTという言葉が自分や他の誰かの『行為』にとってもつ意味」を、この言葉を使うそれぞれが主体的に考える必要があります。
 
「LGBT」という言葉を、いったいどんな行為をするために、また「誰が」行為するために、日常や社会のなかでわたしたちは使うのでしょうか?
 具体的な活動や運動をするときに、いったん、このような問いを自分に投げかけて、足を止めてみることも大切なのではないでしょうか。


 

今回のまとめ

 
 「言葉」の意味はいろいろな仕方で読むことができます。「疲れた」と誰かがあなたに向けていったとき、それはあなたのせいだという「文句」とも、相談に乗ってほしいという「SOS」とも、あるいは独りにしてという「命令」ともとれます。そのため言葉がどのような「行為」に結びついているのかが、相手を理解する大切なポイントになります。
 
 「LGBT」も、「真正面から」その辞書的な意味を理解し、説明するだけではなく、その言葉をいろいろな仕方で「ナナメに」読むことができます。
 そして、そのようにナナメに読むことで、自分が理解し、使っている「LGBT」という言葉と、他のひとたちが理解し、使っているこの言葉との、違いが、辞書的な定義の違いではなく、それぞれの「していること」、つまり「行為」という具体的な違いとしてみえてくるでしょう。それは、それぞれの立場の違いを具体的に受け止めるひとつのきっかけになります。
 
 この連載では「LGBT」、そして「s」について、いろいろな角度から「ナナメに」読むことで、読者のみなさまひとりひとりが「LGBTs」について考えられ、またお互いの違いを具体的に受け止めるきっかけとなるようなものにしてゆきたいと思います。
 これからどうぞよろしくお願いいたします!
 
 

WRITERこの記事の投稿者

古怒田望人

LGBTsナナメ読み!

ジェンダークィアのパンセクシャル。都内で、マジョリティ、マイノリティの垣根を越えて性を共有する哲学サロン「ふらてるにて」を運営。
 

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