性別違和は「いつも」「みんな」ちがう

 

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2019.01.28
皆さんこんにちは。Jitianです。

今回は、最近の記事で取り上げたことではあるのですが、自分のなかでまた感覚が変わってきたと実感してきたので性別違和に関して考えたいと思います。




 

いつもみんな同じではない



改めて「性別違和」と言うのは、生まれ持った身体の性別や、そこから引き受けることとなるジェンダーに対する違和感のことです。
具体的には、「何で私の身体は男性/女性なんだろう」「社会的に男性/女性だから冠婚葬祭などの場面ではスーツ/ドレスを着なきゃいけないと言われているけど、この服を着るのは嫌だな」などと感じるか、感じたことがあるか、ということです。

かといって、たとえば「Xジェンダーである=身体違和がある」というような「方程式」が成り立つともまた限りませんので、そこもご留意ください。

※Xジェンダーに関しては初めの頃に書いた記事を参照いただけますと幸いです。



また、この性別違和は「いつも」同じであるとも限りませんし、性別違和のある人はみんな「同じ」感覚をもっているわけではありません。むしろ、「いつも」「みんな」違うのです。

たとえば、ジェンダーフルイド(性自認に流動性がある)の人はそのときどきで身体に対してしっくり来る「度合い」が変わるといいます。また、ファッションに関しても周期的に好みが変化するそうです。

そして、私自身も、性自認は無性(※)であるにもかかわらず、刻々と性別違和の感覚が変わってきています。

※自分の身体がメスであることはさすがに分かっているけど、ジェンダーは男性だとも女性だとも、その中間だとも、または両方であるとも、何とも思えない

以降は、個人的な話に入っていきます。


 

最近の変化



先述のように、少し前の記事(第29話)ですでに自分の性別違和について書きました。
その際は身体違和は多かれ少なかれ常にあると書いていましたが、そこは基本的に変わっていません。
このほど変化を感じているのはジェンダーにかかわる違和感です。
そして、「それが嫌なのか、そう来るとは思わなかったな」と自分自信興味深かったので、ライフログの面も含めて今回私事ながらひけらかしたいと思います。

ちなみに、改めて自己紹介しますと……
・身体の性別は女性
・性自認は無性
・普段はカミングアウトせず、女性として生活している


◆長髪:違和感なし
人生を俯瞰したときに長髪の期間の方が圧倒的に多く、最早ジェンダーどうこうの次元ではなく自分の中で「長髪である」ということはアイデンティティとして重要なものになってきています。
何年か前ばっさり肩に着かないほどにまで髪を切ったこともありましたが、首元のスースー空気が通る感覚が、自分の身体が自分の知っているものでない感じすらしました。
髪が長いとこの時期は寒さ対策にもなるし、何かばつが悪いときには顔を隠せるし、これから来る花粉の季節にもバリアのような役割を果たすとも聞いています。長髪は便利なのでおすすめです。

◆アウターなど、人の目に触れる服:通常は婦人服
単純に、骨格・体型が合わないからという理由でおおむね婦人服を着ています。紳士服も着られる体型だったらもう少し積極的に選んでいるかもしれません。また、スカートも嫌いじゃないのでしばしば穿きます。
一方で、フリルやハイヒールなどの婦人服特有のデザインや、ヒラヒラする生地など婦人服に多用される生地の服は苦手で、お金も無駄なのでそのようなものはよほどのこと(冠婚葬祭など)がないと買いません。まあ冠婚葬祭だからってできれば着たくないですけど。

◆インナーウェア:なるべく女性性をなくしたい
これが最近の一番の感覚の変化です。
ついこの間(2、3ヶ月前)には平気で身につけていたブラジャーをここ最近ずっと避けていて、それをこの間洗濯物の都合で「仕方ねえな」と身につけようと思ったところ、「オエッ」と頭で感じたのです。

そもそも「ここ最近ずっと避けてい」た理由は至って単純で、「ワイヤー入りのをずっと着けてると苦しいから、もっと楽なのないかな」と思っていた矢先にユニ●ロのノンワイヤーのシリーズを試しに買ってみたところ、これがかなり楽で「着けている」感覚がなく、また胸も目立たなくなってほとんど平らになって(※胸があること自体にはずっと違和感があります)、沢山それを買い足してヘビロテしていたからです。
そうは言っても、下着を総取っ替えしたわけでもなかったので、その間にもたまに従来の下着も「こっちはやっぱ苦しいな」と思いながら身につけていました。

すなわち、苦しい、胸が目立つから嫌だという理由で従来の下着が嫌になる理由はまだ分かるのです。
ただ、今回は単純に「ワイヤー入りのブラジャーなるものを私が身につけている」ということ自体に対して、全身がぞわぞわするくらい嫌だと感じました。
結局、洗濯物の事情ですから、その日は一日中それで過ごしたわけですが、あんなに「この下着脱ぎてぇな」「こりゃ本来俺が着るもんじゃねぇよ」と何度も感じたことは、初めてでした。

まあこの分では、下着総取っ替えする日も近いでしょう。

◆メイク:見るだけショッピング
その一方、最近は化粧品コーナーを眺めるのが好きになってきました。
が、もっとも化粧自体は普段ほとんどしないので、買いません。

特に不思議だなと思うのは、口紅やリップ。
真っ赤や青みがかったピンク、青や黒などの変わり種、リップクリームの機能を持ち合わせているもの、それぞれに付けられた名前など、いくら見ていても飽きないほどのバリエーションが豊富で、何だかこれを買ったら強くなりそうと錯覚を覚えて買おうとするのですが、はたと我に返ります。

これ、俺使うか?
いや、使わねぇんだよな。


と自分の中で会話して、手に取っていたパッケージを棚に戻す、ということをここ1ヶ月くらい毎週末行っている気がします(笑)。

見ている分には楽しいのですが、それを自分が使う気にはどうにもならないのです。
(実際、何種類かもってはいるのですが、全部衝動買いでどれもほとんど減っていない……。)

たまに、「今日は血色が段違いに悪くて唇が紫色だから、さすがに色付けておこうかな」と昔に買ったリップを取り出して乗せるのですが、「何だこの『オカマ』は!似合わないにもほどがあるだろ!」とティッシュでぬぐい取ってしまいます。

見る分には楽しいのに実際に使う気はまるで起こらない、という感覚もあるのだなあと感じています。
この見るだけで楽しくて満足するのは、文房具売り場を眺めているのに似ているなと気付きました。
すなわち、その商品自体にはあまりジェンダー違和は感じず、見ていて楽しいものとして認識しているのだと思います。
でも、たちまち実際にそれを身に着けるとなると女性ジェンダーを引き受けるような気がして、違和感が増幅するのです。

いつか付けたくなったら本当に買うだろうし、いつまでも見ているだけかもしれませんし、見るのも気が進まなくなる日も来るかもしれませんし、それはまた自分で自分を見守ろうと思います。


 

性別違和と生きていく



皆さんには上のような経験や感覚はあるでしょうか。

個人的に今後の性別違和を考えると、身体違和はもしいつか手術で胸を切除しても完全には消えないだろうし、それは性別適合手術(SRS、この場合は女性器全般の摘出)をしたとしても、この体と生きていく限り、0にはならない気がしています。

でも別に、これは諦めているわけではないのですが、性別違和が一生なくならない可能性が大きくても、特段落ち込んだり悲しい気持ちになったりはしません。
それは、私が言葉を覚えて物心ついたころにはすでに身体違和があり、身体違和があるのが当たり前の状態だからです。むしろ、身体違和をはじめとする性別違和が私の「無性」のアイデンティティの形成の重要な部分を担ってきました。
つまり、今は分かりやすい二次性徴後の胸にフォーカスしがちですが、そのずっと前からあまり自分の女性である身体にしっくりきたことはないのです。

「私は(本当は)●●である」という明確な確信、自覚をもっていえるものだけでなく「私は◆◆ではない」という否定から生じるアイデンティティも、すごく大切なものだと思っています。

 

WRITERこの記事の投稿者

Jitian

隣の凡人X~セクマイですが何か~

Xジェンダー、パンセクシャル。常駐しているTwitterと気が向いたら書いているブログもよろしくお願いします!

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