第24話:「LGBTが気持ち悪い」というのは大体は慣れの問題だと思う

 

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第24話:「LGBTが気持ち悪い」というのは大体は慣れの問題だと思う

2018.09.14



皆さんこんにちは。

少しは涼しくなって過ごしやすくなってきたように感じなくもない今日この頃ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。


私といえば、何年も逡巡の末最近ついにKindle Paperwhiteを購入して、早めに読書の秋を楽しんでいるところです。
今度こそ読書を趣味の一つにしたいと思っています。



さて、話は変わりますが、仕事以外では毎晩セクシャルマイノリティ当事者や情報集めのためのTwitterアカウントに常駐し、外でも毎週末のようにセクシャルマイノリティのコミュニティや知り合いに顔を出すようになってから久しくなったこともあり、例えばたまに同僚やセクマイ以外の友人からこんな言葉を耳にするとハッとします。


「LGBTって気持ち悪い、受け付けない」

あ、セクマイが気持ち悪いって思われることって珍しくなかったんだった、ということを思い出されるのです。




昔も今も、結局のところそういうことを直接的に言われるのが怖くて私は実生活でのカミングアウトはしていません。
一方で、セクマイ当事者の中にいるときは自分もセクマイであることを明らかにし、つまりはセクマイとして過ごす時間も増えてきていて、セクマイであるところの自分と「普段」の自分との乖離やギャップが狭くなってきているので、このように感じるようになったのかなとしみじみと思っています。



でも、こういう言葉に対して、こんなに呑気に、ゆったりと構えていられるようになったのはここ1、2年の話です。



静かにこのような言葉にぐさっと来た記憶は、中学生のとき、幼なじみが毎月買っていた少女マンガの月刊誌でGL(※)の読み切りがあったことに対して「女子同士でキスしてて気持ち悪いよね」と言われたことです。
そのとき私は別の女子が好きだったので(※私は女体もちです)「ああ、じゃあ俺のこともきっと気持ち悪いって思うんだな」と静かに心の扉を閉ざしました。

※GL(Girls Love):女性同士の恋愛のストーリー。詳しくは前回の記事を読んでみて欲しいです。



それ以外にも、大学のときにいくつか授業が同じだった知り合いは、BL(※)好きの共通の友人が去った後に「ああいうのが好きな人もいるけど、私はたとえフィクションでも同性愛ってどうしても生理的に無理で受け付けないんだよね」と私に言ってきました。

「そうなんだ」と興味なさそうに受け流していた私は、心では「この人は、私がセクマイだと知っていても同じことを言っていたのだろうか」と疑問に思いました。

※BL(Boys Love):男性同士の恋愛ストーリー。



でも、その頃は同時に都会で仲の良さそうな男性カップルや、パス度(※)が高くないトランスジェンダーを見かけると、「ウッ」と引いてしまうことが、正直ありました。

※例えば、身体的に男性で生まれてきて性自認が女性の場合は、「女性らしい」格好をして女性として見られるか、逆に「男性ですか?」と身体の性別を見抜かれて声をかけられる、その度合いや割合。この場合、周りから女性として見られている場合は「パス度が高い」と言い、逆に男性と思われていたら「パス度が低い」と言う。


 

分からない、知らない、慣れていないものは怖い



一方で、意図的にトランスジェンダーであるわけではないけど性別が「どっちか」判断しづらい存在がいるということに対して「気持ち悪い」と言う声を聞いたことが、少なくとも私はありません。
すなわち、性ホルモンが減った結果性別が見た目からでは判断できない高齢者のことです。

なぜこのような高齢者に対しては気持ち悪いと言う声が聞かれないのかといえば、人間はそういうものだとみんな何となく心得ているし、そういう例が周りにあふれていて見慣れているからではないでしょうか。

でも、もちろんすべての高齢者が「性別の見分けがつかない」わけではないことも、私たちはまた知っています。



私は、これが重要だと思うのです。

つまり、セクシャルマイノリティに関しても「こういう人もいるけど、そうでない人もいる。でも、そんなもんだ」と受け流せる程度に実例を知っていて、慣れていれば「気持ち悪い」という感情もだんだん小さくなっていくのではないかと思うのです。
(まあ、気持ち悪いと感じる人が減ったとしても、少し前に話題になったように「LGBTは生産性がない」「生物の子孫繁栄の規範から外れている」と考える人はどうしても一定数いるとは思いますが、それはまた別の機会に……)



個人的な経験にしても、前述の通り、以前はゲイカップルやトランスジェンダーの人々を見て「ウッ」と息が一瞬詰まるような感覚を覚えていたときもありましたが、身も蓋もないことを言えば、セクマイのコミュニティに通ううちに彼らに慣れました

具体的には、セクシャルマイノリティのカップルを沢山見ているうちに「何だか楽しそうだな」とむしろ生活が充実している雰囲気に憧れたり
性別が「どっち」かよく分からない人たちに囲まれているうちに、今話している相手の性別をいちいち気にしている理由がないな、ただ気が合うか、一緒にいて心地よくて楽しいかどうかの方が大事だな、ということに気付いたりしました。


 

慣れて「もらう」には



ただ、セクマイの難しいところの一つとして、見た目だけでは分からないということがあります。

自分と「一緒」と思っていた人が、蓋を開けてみたら同性が好きだったり、恋愛をしなかったり、性自認がなかったり、実は生まれたときの性別は今とは異なっていたりと実に色んな場合があり、「えっ一緒だと思ってたのに、なんか全然知らない世界の人じゃん、怖」と思われかねないのです。



そこで、蓋を開けてもいちいち驚かれないように常に蓋をオープンにして「私はこういう人だからね」と予め周知させておく、(私から見たら、実に)勇気のある人たちがいます。

セクマイをカミングアウトしているオープンな人たちのことです。



そうできればよいなとは私もたまに思うのですが、電話を取るのは女性だとか勤務先のジェンダー規範の強い上司や、いつかは結婚して子どもを産むと「娘」の私を信じて、そうでない生き方を否定する両親を目の前にすると、やはりなかなかそう簡単にはカミングアウトできるものではないと感じて口を閉ざしてしまいます。

だから、せめてネット上ではセクシャルマイノリティであることを公表して、普段思っていることを発信しようと、こうして今回も書いているわけです。




やっぱりカミングアウトするのは怖いし、カミングアウトするのがよいことで、しないことが悪いことでもありません。

でも、いやだからこそ、いつかみんなが多様性に「慣れる」とよいなと思って、そして自分自身ももっと慣れたいと思います。



 

WRITERこの記事の投稿者

Jitian

隣の凡人X~セクマイですが何か~

Xジェンダー、パンセクシャル。常駐しているTwitterと気が向いたら書いているブログもよろしくお願いします!

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