第20話:お茶大トランスジェンダー受け入れについて女子大卒FtXが考えてみた(前編)

 

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第20話:お茶大トランスジェンダー受け入れについて女子大卒FtXが考えてみた(前編)

2018.07.20




皆さんこんにちは。


 

先日、お茶の水女子大学(以下、お茶大)がトランス女性(性自認が女性で戸籍が男性)を学生として受け入れるということを発表しました。

全国的にニュースにもなっていたので、セクシャルマイノリティに特に関心のない人でも知り得るような話題性があったんだと感じました。



個人的には、この変化には賛成です。

やはりトランス女性も女性なのだから受け入れて然るべき、ていうか逆に今まで何で受け入れてくれなかったの?とすら思います。
(戸籍を変更できるようになったのがまず2000年代に入ってからですから、まあここまで柔軟になるにはそれなりの歳月がかかっても仕方ないのかなと思いますが)



ところで実は私、この話題に人一倍関心を寄せていた自信があります。

それは、私自身(お茶大ではないですが)女子大卒だからです。

今やXジェンダーの一人だと強く自認して生活している私が女子大に入学したのは色んな理由があるのですけど(別に深い理由ではない)、性自認が女性でないのに女子大を卒業した身として、この変化について、そして大きくは女子大そのものについて今回は考えてみたいと思います。


 

女子大の存在意義


ここで私が主に考えたいのは「現代における女子大の存在意義」です。

高校以下ですと男子校、女子校ともに共学校に変えている学校が増えていますが、性別で受け入れる学生を制限するのをやめている学校が増えているなかで、それでも存在する女子大の意義は何なのだろうか、と疑問を感じるのは自然な流れだと思います。
(私の見解でなくお茶大の女子大の存在意義に関する意見は、記者会見のニュースの記事をググってください。)


女子大の歴史の始まりは20世紀の前後、日本では最初に日本女子大学が設立され、同時期に高等教育機関として津田塾大学の前身の学校も作られましたが、それらに共通していたのは女性に高等教育を広めることでした。

これらの学校が創立されてからそれほど遠くない昔まで(私の親の世代とか)、女性は高等教育を受ける必要はないという風潮が強かったのです(例えば私の叔母は女性であるというだけで高校までしか進学させてもらえなかった一方、叔母の弟である父は大学を出ています)。

そのような風潮が特に強かった時代であれば尚更、たとえ大学に進学できたとしても共学の大学では女性であるというだけで肩身が狭いと感じた女子学生がいたのではないかということは想像に難くありません。



ですが、最早大学全入時代とさえ言われる現在、性別だけが理由で進学できるか否か左右される時代は終わりを迎えつつあるのではないでしょうか
(勿論女性というだけで浪人させてもらえないなど、まだまだ格差は根深いことは承知ですが。)

創立時から時代も風潮も変化した現代において女子大に求められていることは何なのか、女子大の存在意義は何なのだろうと、それは今に限らず在学当時から性自認が女性でない「女子大生」の一人として考えていました。



そのなかで一つ考えられることは、男子学生のいない環境を求めて女子大を選ぶ学生が一定数いるということです。

これは入学後に知って驚いたのですが、私自身は女子大に入学する前は小中高共学校でしたが、よくよく聞いてみると女子校出身者で女子大を選んで入学した人が結構いるのです。実際、知り合いの4割程度は女子校出身でした。

彼女たちは、別にインカレ(他大と共同のサークル)で他校の男子学生と会うこともするのですが(場合によってはそれすら避ける人もいました)、学ぶ場としては女子しかいない環境を自ら選択していたのです。

成り行きで何となく入学した私にとっては、そのような理由で女子大を選ぶ人がそれなりにいると言うことに衝撃を受けました。



 

女性のふりをした男性が紛れるのではないか?


男子学生のいない環境を求めて女子大を選ぶ学生が一定数いるという印象が強かった私にとって、最初にお茶大の件を知ったときにすぐ思い浮かんだことは「『男体もち(トランスジェンダー女性)』が女子大の学生になることによって恐怖を覚える女子がいるのではないか」ということでした。

ここで言う「男体もち(トランスジェンダー女性)」とシスジェンダー女性は身体こそ異なるかもしれませんが、あくまで同じ女性です。本来はすべてのトランス女性に対して怖がる必要はないです。

「恐怖を覚える女子」が実際に恐怖しているのは、「この機会に女子大に潜り込んであんなことやこんなことしてやろう」と悪いことを企んでおり、危害を加える恐れのある男性のはずです。



そのため、漠然と「怖いな」と思っている女子学生がいたら、不必要に不安がる必要はないと声をかけてあげたいです。
 
なぜかと言えば、それこそ性自認が女性でないのに女子大で学んだ者の実感として、危害を加える恐れのある男性が実際に紛れて女子大に入学することは実際相当難しいと思われ、万が一ハードルをくぐり抜けて入ってきたとしても生半可に4年も在籍していられるはずがないと思うからです。


そしてなぜそこまで言い切れるかというと、女性自認でないのに女性として女子大に身を置き続けることは、日々強く性別違和に苛まれながら、それでも女性でいることに耐えなければならないということだからです。



私は4年間、入学式から卒業式まで、結局ずっと大学に実は馴染めず、いつも浮いているような感覚でした。

入学式では、一番大きい講堂にスーツの女子学生が集結しました。

女子校出身者でない私は「うわあ女子しかいねえ!」と初めて見る光景に圧倒され、「あれ、でも俺も女子?」と、ふと婦人物のスーツを着て座っている自分を思い出し、ここにいてはいけないような気がしました
(ちなみにこの頃はまだXジェンダーの自認はありませんでした。)



そして日々の学校生活でも

「うわあこの食堂、キッチンで働いてるおじさんを除いて女子しかいねえ!あれ、でも俺も女子?」
「うわあ教授(教授は男性)をコの字に女子大生が囲んでゼミしてる!あれ、でも俺も女子?」

と、「女子ではないはずの自分が何食わぬ顔をして女子のフリをして紛れ込んでいる」感覚が拭えず、卒業式まで「うわあ振り袖着た女子しかいねえ!あれ、でも俺も振り袖着て座ってる?」とある意味ずっと違和感に関しては新鮮な気持ち(笑)を毎日感じていました。



そうは言っても私が特に精神的に病みもせず、しかも実際には周りからは馴染んでいるように見せかけながら卒業できたのは、自分の身体も戸籍も女性であることは事実だし、一見すれば女子でしかないから、周りから変な目で見られることがまずなかったためです。



トランス女性(もしくはトランス女性のふりをした男性)が実際に女子大に入学した際、トランス女性であることをカミングアウトする必要は必ずしもないと思いますが(逆を言えばカミングアウトしなければならないような環境である方が問題です)、あまりパス度(※)が低かったら、正直どうしても「変な目」で見られることは少なからずあると思います。

※パス度:トランスジェンダーの、性自認の方での性別で回りから認識されやすさ。「パス度が高い」とは、たとえばトランス女性がほとんどの周りの人から女性であると認識されているということ。


しかし、これまた大変残念ですが、それでも女子大で女子大生を続けたいのならば、トランス女性は女性であるところの自分を信じて堂々と女性でいなければなりません

これも不思議なことだなと思いますが、トランス女性であることが女子大内でアウティングした途端「わざわざ女子大を選んだトランス女性」=「本当の女性」だと決めつけて接する人が、少なからず出現するということが考えられるためです。
(そこで自分自身を疑い始めると最早自分の味方が誰もいなくなり、一気に学校の中で浮いてしまうと思います。)

(勿論女子大である以上は「女子」に開かれた大学であって欲しいですし、「本当の女性」などという考えは幻想にすぎないのですが。)



そういうわけで、性自認も身体も戸籍も男性の人は、一番女子大に馴染むのにはハードルが高いのです。
(冷静に考えたら、すごく当たり前のことを言っていますね……。)

ですので、もし今回のことで学生生活が脅かされまいかと不安に感じている女子大の在学生や女子大希望の方がいたら、心から安心しても問題ないと思います。



そして、トランス女性が入学することに対する恐怖の正体が、単に「男の体で生まれているくせに心は女性ですとか、意味分かんないから入ってこないで欲しい」とトランス女性の受験資格を否定している感情だとすれば、それはただのセクハラです。

だって、「女性」なら受験資格があるのが女子大のはずですから。





さて、ここまでトランス女性受け入れを入り口として現代における女子大の存在意義について少し考えてみました。

次回の記事では、ではそもそも女子大を受ける資格がある「女性」とはそもそも何なのか、ということについて考えてみます。



というわけで、後半に続く!  

WRITERこの記事の投稿者

Jitian

隣の凡人X~セクマイですが何か~

Xジェンダー、パンセクシャル。常駐しているTwitterと気が向いたら書いているブログもよろしくお願いします!

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