クエスチョニングのおはなし#1 ~クエスチョニングってなあに?~|LGBT|セクマイ情報サイト 全国の店舗・団体の検索・予約も!

 

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2017.07.29

クエスチョニングのおはなし#1 ~クエスチョニングってなあに?~

 

こんにちは!みらいです(^_^)/
 
さてさて今回は、“クエスチョニング”というセクシャリティについてのお話をしていきたいと思います。
 
※※※ご存じのとおり、セクシャリティは人それぞれ違います。もちろん、クエスチョニングを自認している人が全てこのような感覚であるとは限りません。あくまでわたしの場合、ということで、参考程度に読んでいただければ幸いです。※※※


 

クエスチョニングって?


最近よく目にする、“LGBT”という表現の、どれにもあてはまらないクエスチョニング。
Wikipediaによると、 
   

  クエスチョニング(英語 Questioning)は自己のジェンダーや性同一性(en)、性的指向を探している状態の人々を指す言葉である。クエスチョニングの状態にある人々は、「迷っている」「まだ探している」「様々な理由により自分に社会的分類を当てはめることに対して不安感じている」などを自覚していることもある。


Wikipedia「クエスチョニング(セクシャリティおよびジェンダー)」より

とあります。
 

つまり、「自分自身のセクシャリティ(=性のあり方のようなもの)がはっきりと定義づけられない状態」といった感じ。
その他のセクシュアリティを指す言葉とは違い、性自認に関しても性的指向に関しても使われることのある言葉です。
 
わたしの場合、性自認に関しては女性で性的指向の部分のみクエスチョニングですが、もちろん性自認がクエスチョニング、という人や、性自認も性的指向もクエスチョニング、という人もいます。
 
「クエスチョニングのおはなし」では主に、(性的指向)クエスチョニングであるわたしの感覚や、レズビアンだと思っていた時代から現在に至るまでの経緯などを何回かに分けてご紹介していきたいと思います!
 

 

「わからないってどういうこと?」

 
ある友達に、「わたし、男性を好きになるのか女性を好きになるのかわからないの」とカミングアウトしたときに言われた言葉です。
 
「…いやいやいや、わからないものはわからないんだって!!!」
 
まあ、その友達は理解のある子だったので「へぇ、ほんとに色んな人がいるんだねぇ…」と言って納得(?)してくれたのですが…。
 
ここまで読んでくださった皆さんの中にも、同じように疑問に思った方々がいらっしゃると思います。
 
「わからない」という感覚を言葉で説明するのはとても難しいですが…
たとえば、以下のような質問に対する答えを考えてみてください。
 
《どうして[女性/男性/そのほかの性]に恋愛感情を抱くとわかったのですか?》
《恋愛感情とはなんですか?友愛や性愛とははっきりと違いますか?どんなふうに?》
《初恋の人、初めて付き合った人、現在のパートナーなど、今までに恋した相手に対して抱く感情は全て同じものでしたか?違うとしたら、どうしてそれらが全て“恋愛感情”であると感じたのですか?》
 
きっと多くの方が、答えるのが難しいと感じたのではないでしょうか?
実はこれらの質問は、わたしが考えてもわからなかった疑問たちです。
 
「わからない」という状態がどういうことか、少しは伝わったでしょうか…?
 

 

愛のカタチもグラデーション

 
個人的な考えですが、わたしの中では「愛」というものや「好き」という気持ちは、性のあり方と同様にグラデーションです。
 
たとえば、同じ「友達」でも、「小学校時代からの友達」と「大学時代の友達」では、なんとなく違いませんか?
もっと言うと、同じ「大学時代の友達」でも、Aさんは「ずっとおしゃべりしていたい感じ」、Bさんは「困ったときに頼りたくなる感じ」、Cさんは「美味しいものを一緒に食べに行きたい感じ」…などと、それぞれに対して抱く感情や関係性が異なるのではないでしょうか。
 
だから、それぞれに違う人間の、さまざまな一対一の関わりを同じ「友愛」というカテゴリーに区分してしまうのは、いささか乱暴な気がするんですよね。
それだけではなく、「恋人」「親友」「盟友」「友人」「知人」といった関係性を表す言葉の数々にも疑問や違和感をもちます。
 
だって、ひとつとして同じ形はないはずだもの。
 
わたしは、愛の種類を分けられない。
はっきりわかるのは、「好き」という気持ちがそこにある、ということだけ。

 
周りの友達が何の疑問もなく受け入れている恋愛感情が「わからない」状態が不安で、何とも言えないたくさんの「好き」を持て余して。
「わたしは今、この人にどんな感情を抱いているんだろう?」とあらゆる人に対して考え、悩み続けていたこともありました。
 
「どこかに属さなければいけない」という固定観念と、
「どこにもカテゴライズされないわたしは一体何者なのか」という恐怖感から、自分の性的指向を探し求めていたこともありました。
 


 

「好き」は「好き」。それでいい。

 
これはあくまでわたしが色々なものから影響を受けつつよく考えた結果なのですが…、
誰かに対して抱く感情って、ひとつであることの方が少ないと思います。
きっと、愛も同じなのではないでしょうか。
 
わたしが生きている世界は、いろいろと愛の種類を表す言葉が存在している割には、「恋愛」と「それ以外の愛」の区別をつけたがりすぎなんじゃないかなぁ、と感じます。何故なのだろう、とも思います。
 
「恋人」という名のつく関係にあっても、その間に存在しているのは「恋愛」だけではないはずです。(まぁ、そういう名のつく関係を築いたことがないのでよくわかりませんが…)
 
そう考えるようになってからは、「あの人に抱く感情は恋愛なのだろうか?」なんて白黒つけようとすることに、それほど意味を見出せなくなりました。
 
自分の中に在るたくさんの「好き」を、何なのかよくわからない、いわばグレーのような状態のままで、大切にできるようになりました。
 
そして、わたしは自分の性的指向を探すことを辞めました。
 
 
 
…と、序盤からいささか熱が入りすぎていきなり最終回みたいな感じになってしまったのですが(^-^;、とりあえず今回はここまで。
 
クエスチョニング、という状態(の、ある一例)が少しは伝わったでしょうか??
 
次回からは、異性愛しか知らなかったわたしがセクシャリティに迷っていった過程をご紹介していきたいと思います!
 
お楽しみに☆(/・ω・)/
 
 
●前回までの記事
はじめまして!みらいです!
 

 
Writer's Info

みらい

ごくごく平凡な大学生。さいきん興味があるものは演劇。

Twitter:@miR_ai_22

現在、セクマイ当事者の居場所や交流の場となる会「はろっと!ぎふ」を企画中。


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